■国際結婚事例1
(事例)
現在65歳の身体障害者1級の男性
(経緯)
60歳
大手菓子メーカーに勤務。妻は10歳年下。60歳で退職後、緑内障になりほとんど視野を失う。
結果として、身体障害者一級の認定をうけ、障害者手帳を交付される。
その後、妻のほうから離婚を申し立てられ、愛情が冷めて離婚に同意。
親族や子供からも見捨てられた状態になり、1人でアパート暮らしをしている。
盲目のため、散歩していると、高校生から無理やり携帯電話を奪われること3回、殴られて怪我をすること数回、杖などをとられるなどのいたずらを何回も経験し、だんだんと、日本を脱出する気持ちが固まってきた。
61歳
菓子メーカー勤務時代に、工場でフイリピン人を使って仕事をした。
そのとき、賃金を日本人のパートの半額だったものを、経営者に談判し、日本人と同額にした実績をもつ。
そのときのフイリピン人を頼って、フイリピンを訪問。
当時のフイリピン人は、彼の訪問を喜び、世話をしたいという申し出があった。
もちろん、フイリピン人が無職であったことも幸いしたが、1ヶ月2万円の契約で2人を採用し、マカテイ地区にアパートを借り、2人を住まわせてあげた。
そして、1年のうち半年くらいは、フイリピンに滞在し、その期間は、24時間面倒をみてもらう生活を経験。
65歳
何年か、日本とフイリピンを往復しているうちに、面倒をみてくれているフイリピン人の紹介で結婚話しがもちあがった。候補は3人、28歳と35歳と45歳である。3人とあって、面接しその女性の家にも行って生活ぶりを見てきた。
28歳の女性は、お金だけが目当て(こういう女性はフイリピンでは多い)、35歳の女性も同様で、即刻却下。
45歳の女性が、子供が3人いて、一番愛情が深そうで気に入った。貧民街に住んでいるが、かの女の家に1ヶ月間居候して、観察したらしい。
子供たちは、まだ中学生くらいで、パパができたといって、無邪気に喜んでいたらしい。
しかし、問題は、彼女が8人兄弟の一番上のボス的立場だったことです。もし、彼女と結婚した場合、兄弟の8人全員が無職ですから、8人を養わないといけなくなるのです。
1人だけ裕福になるというのは、フイリピンでは、「抜け駆け」とみなされ、不幸になるようで、それはできないのです。
彼は、年金暮らしですから、毎月22万は収入があるのですが、それで8人を養うのは、さすがに無理です。
8人分の仕事をつくるような事業ができないかと、いろいろと考え、小さなお店をスタートさせました。
フイリピン人との結婚は、兄弟が多い場合、必ずといっていいほどこのようなパターンになります。2人だけで、幸せというわけにはいかないのです。相手の女性に兄弟がいる場合は、こういう、覚悟をある程度は、しておかないとなりません。
■国際結婚事例2
(事例)
現在49歳の男性でマニラに在住
(経緯)
この方、日本でビジネスをやっていた企業の経営者です。最初の奥さんと、離婚したあとずうっと1人で暮らしていました。そこで、フイリピンパブで働いていた奥様と知り合ったといういきさつです。
この方は、両親とも、病気で寝たきりになり、その介護をどうしようかと途方にくれていたところでした。
たまたま、パブで知り合ったフイリピンの女性が介護経験があるということでしたので、それなら、介護という仕事で雇うから介護してくれないかとお願いしたわけです。
日本人の若い女性なら、なかなか老人の介護を積極的にやってくれることはありませんが、ホスピテリテイのあるフイリピンの女性は、2年間、寝たきりの両親の介護をやってくれたそうです。
両親も、その温かい介護の仕方に、満足して、往生していったそうです。
そういう介護の姿をみているうちに、この方は、結婚を決意したのです。そして、ちょうど、日本でやっていたビジネスもうまくいかなくなり、第二の人生をフイリピンで暮らすことになったわけです。
最初のころは、奥さんの実家にころがりこんで、面倒をみてもらったそうですが、これではいけないと奮起して、日本人相手に、いろいろな商売をはじめたのです。
創意工夫と目的をなしとげるときの情熱は、フイリピン人に比べると、日本人のほうが、訓練されています。
そうやって、フイリピンに基盤を築き、いまは、奥さんの兄弟全員を、社員として採用し、面倒をみています。
5LDKの一戸建てに住み、家賃は5万円から6万円くらいだそうです。
※移住のポイント
お金があるから、ただ物価の安いフイリピンで暮らしたいというのでは、ちょっと、移住の理由が足らないと思います。やはり、現地でなにかをやらないと、生きている感じがしません。それは、ゴルフやマリンスポーツなどの趣味でもいいし、観光客相手の商売でもいいでしょうが、なにかが必要です。